映画「クリード 炎の宿敵」より
息の長いロッキー映画
タイトルこそ変われ、シルベスタ・スタローン主演の映画「ロッキー」シリーズの息の長さには、感服してしまいます。
最新作映画「クリード 炎の宿敵」が、レンタルビデオに、登場しました。
最近と云えば、僕の場合、ほとんどの新作映画は、インターネットのレンタルビデオで観ていますね。
最近の映画は、特に画質も最高に綺麗だし、音響も、素晴らしい。
映画「ロッキー1」が封切られた時、もうかれこれ、今から40年以上前、当時、無名であったシルベスタ・スタローンは、この映画で、一気にスターダムにのし上がりました。
彼の凄いところは、役者としてだけではなく、脚本家でもあることですね。
そして、その後、常に第一線で、トップスターとして君臨し、話題作を提供し続けていることです。
さすがに、今回、「クリード」とタイトルが変わってからの第二作目ですが、ストーリーのマンネリ化は、否めませんね。
ストーリーは、ワンパターンで、いたってシンプル。
新たな宿敵の出現で、一度は、チャンピオンの地位を失いかけますが、一発奮起、最後は、チャンピオンの意地を見せ勝利すると言うものです。
確かに、最近の映画は、ストーリー作りが、うまい!
特に、アメリカのテレビ番組は、素晴らしい!!
それで、今回の映画「クリード 炎の宿敵」でも、お決まりのワンパターン・ストーリーの中に、ロッキーの亡き妻、エイドリアンへの深い愛情、クリードの父、アポロとの男の友情、老いを迎えた孤独なロッキーの残された家族との問題などが、散りばめられています。
なかなか共感を誘う設定です。
映画「クリード 炎の宿敵」
ロッキーの指導のもと、プロボクシング世界ヘビー級王者となったアドニス・クリード(マイケル・B・ジョーダン)は、恋人の歌手ビアンカ(テッサ・トンプソン)と結婚する。
二人の間には、女の子が、誕生。
公私ともに、充実した生活を送るアドニスであったが、生まれた娘は、妻ビアンカの持っている聴覚障害が遺伝しており、それが、唯一の気がかりであった。
そんなアドニスの前に、かつて父アポロを死に至らしめたドラゴ父子が、現れる。
父のイワン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン)は、アポロを倒した後、ロッキーとの試合に敗れ、今は、地位と名誉も失い、祖国のウクライナで貧しい暮らしをしていた。
そして、ドラゴにはヴィクター(フロリアン・ムンテアヌ)と言う息子がおり、ボクサーとして鍛え上げていたのである。
それは、アドニス・クリードを倒し、ロッキーに対する復讐を成し遂げる目的であった。
父親譲りの怪物的パワーを誇るヴィクターに圧倒されるアドニス。
初戦では、かろうじて反則勝ちを得たアドニスであったが、ついに圧倒的不利を予想される第二戦の世界タイトルマッチが始まる・・。
(YouTubeより引用 https://youtu.be/K4W6kbVTyEU)
シルベスタ・スタローン
今や、アメリカ映画界の大スターのシルベスタ・スタローンですが。
40年以上昔の頃、1976年に封切られ映画「ロッキー1」は、空前の大ヒットを記録し、シルベスタ・スタローンを、一躍スターダムに押し上げました。
この映画「ロッキー」の題材になったのは、1975年に行われた、モハメッド・アリ対チャック・ウェプナーの試合と言われています。
ちょうど、僕も、リアルタイムで、テレビ観戦していました。
テレビを見ている聴衆も、「ロッキー1」と同じく、あまりにの格差のある対戦で、アリが、何ラウンドで、チャックをKOするのかと思って観ていたと思います。
しかしながら、地味ですが、チャックも、なかなかのファイターでしたね。
途中から、僕も、思わずチャックの応援に回ったのを記憶しています。
ピエロ役にされたチャックが、スタローンによって、映画「ロッキー」の主人公になったわけです。
弱いと思われている人間が、必死に戦う姿に、人は、共感と感動を覚えるもののようですね。
シルベスタ・スタローン自身も、俳優として、なかなかチャンスを掴むことができずに、悶々とした生活を送っていたようです。
彼自身も、映画「ロッキー」で、チャンスを掴んだんですよね。
シルベスタ・スタローンは、2019年現在で、72歳になります。
アメリカ映画界の記憶に残る俳優となりましたね。
シルベスタ・スタローンの映画作り
ロッキーという名前は、シルベスタ・スタローンの代名詞ですね。
スタローンは、「ロッキー」シリーズ以降も、「ランボー」シリーズ、最近では、「エクスペンタブルズ」シリーズと行ったヒット作を、提供し続けています。
「エクスペンタブルズ」が、登場した時、正直、オールスター勢揃いで、ネームバリューで勝負しているような感があり、あまり期待していなかったのですが、やっぱり面白い映画でした。
スタローンは、どうやら、どんなストーリーが、観客に受けるのかというツボみたいなものを、把握しているようです。
「ロッキー」にしろ「ランボー」にしろ、社会的弱者の立場にある主人公が、我慢に我慢を重ねた後、怒りを爆発させ、元々持っている戦闘能力で、敵を圧倒するというものですね。
ここら辺が、ワンパターンでありながらも、永く支持される要素ではないでしょうか。
ロッキー映画の主人公たちは、「怒り」の代弁者的存在ですね。
スタローン自身も、映画人として成功するにあたっては、自分の書いた「ロッキー」の脚本を、映画会社に売り込み、その際、契約の条件は、自分が主演をつとめることだったとか。
スラローン自身も、何だか、ロッキーと重なる部分がありますよね。