1958年、17歳だったラビングさんは、6歳年上の建設作業員リチャード・ラビング(Richard Loving)さんと結婚した。

当時バージニア州では異人種間の結婚が禁止されていたため、2人は首都ワシントン(Washington D.C.)で結婚し、その後州内で新婚生活を始めた。

ところが数日後、保安官が突然訪ねてきて、「白人男性を夫にした」としてラビングさんを逮捕した。

2人は事実上の「州外退去命令」を受け、ワシントンに居を移した。

そして、複数の人権団体とともに、異人種間の結婚を禁止する州法は憲法に違反するとして州政府を訴える

このいわゆる「ラビング対バージニア」訴訟で、最高裁は1967年、同法を違憲とする歴史的な判決を下した。

これにより、ほかの16州でも異人種間の結婚を禁止する法律が見直されることとなった。

■法律を変えようとしたのではなく、愛のために闘った

この判決から40周年にあたる2007年6月、ラビングさんは「わたしたちは、法律を変えようとして闘っていたのではなく、愛のために闘った」と当時を振り返った。

また、米公民権運動の先駆けとして知られる故ローザ・パークス(Rosa Parks)さんになぞらえられることについて、「歴史的な偉業を成し遂げたとは思っていない」と控えめな性格をのぞかせた。

リチャードさんは1975年、交通事故で死亡。同乗していたラビングさんは、片目を失明した。

38年前に黒人女性と結婚したアメリカン大学(American University)のゲリー・ウィーバー(Gary Weaver)教授は、「自宅には卵が投げつけられ、車にはライフルの弾が9発撃ち込まれ、芝生には火をつけられたものです」と語った。

「1970年代初め、白人と黒人との結婚は非常にまれでした」

米国勢調査局(US Census Bureau)によると、異人種間の夫婦は今や全米で430万組にのぼる。南部のアラバマ(Alabama)州では、2000年になってようやく異人種間結婚禁止法が撤廃された。

(c)AFP/Virginie Montet