映画「僕はラジオ」より
実話
映画を観ていて、最後の部分で気づいたのですが、このストーリーは、実話だったんですね。
途中から、どうもそんな感じがしていました。
映画の画面の風景や登場人物たちの服装や物腰などが、地味というのか生活感のある映画の印象でした。
知的障害を持った主人公ラジオことジェームズ・ロバート・ケネディ(キューバ・グッディング・ジュニア)と高校のフットボール部コーチ、ハロルド・ジョーンズ(エド・ハリス)や二人を取り巻く周りの人たちとの心の交流を描いた作品です。
2003年アメリカ映画。
ラジオ
主人公のジェームズは、知的障害を持っていましたが、ラジオが好きで、いつも音楽を聴いているところから、「ラジオ」というニックネームで呼ばれていました。
兄がいるようです。
そして、やさしい母と、生活していました。
一方のハロルドは、ハナ高校のフットボール部のコーチで、地元では、なかなかの名士という感じです。
いつもジェームズは、ハナ高校のグラウンドの近くをショッピングカーを押しながら歩いていました。
そんな或る日、フットボール部のボールを、たまたまジェームスが持ち帰ってしまいます。
その為、ジェームスが、フットボール部員からいじめを受けるという事件が発生してしまいます。
コーチのハロルドは、部員たちに罰を与え、ジェームスにも、謝ります。
この事件がきっかけで、ハロルドとジェームズの交流が始まります。
(引用:YouTubeより https://youtu.be/aoRvZW-bpRo?list=PLA4TvUpxFLZlJAtcMaEsys5kiEyGhV5de)
知的障害
舞台となる高校は、アメリカの南部、サウスカロナイナのアンダーソンというの町のです。
アメリカ南部と言えば、何かいまだに、人種偏見の根強い地域のようなイメージがあるのですが、実際は、どうなんでしょうか。
もっとも、差別というのは、世界のいろんなところにあるものですよね。
しかし、そんな中、コーチのハロルドが、知的障碍者のジェームズに対して暖かい友情を示し続けたということは、素晴らしいことですね。
ラジオの母親が、ハロルドに、どうして自分の息子に対して親切に接してくれるのかと問いかけます。
ハロルドは、「それが正しいことだから。」と答えます。
ハロルドのそうした行為の源になっているものは何なのか。そこには、ハロルドの少年時代の苦い記憶があったことが明かされます。
キューバ・グッディング・Jr.
この映画の中で、主人公のラジオを演じているキューバ・グッディング・Jr.の演技を観ていて、別の映画の事を思い出しました。
ジャック・ニコルソン主演の映画「カッコーの巣の上で」です。
キューバ・グッディング・Jr.の演技もなかなかのものですね。
知的障害を抱えたラジオの人物像を、見事に演じていますね。
映画「カッコーの巣の上で」を観た時も、感心するというよりは、ビックリしたといった方があっていると思うのですが、俳優ってすごいですね。
特に、一流と言われる俳優の演技って、驚くものがあります。
余談ですが、映画「カッコーの巣の上で」で、精神病院に入院している患者たちを演じた、当時は、まだ新人だった俳優たちは、その後、みんな映画界を代表するスターになっていきましたね。
向き合う
自分の人生を生きている時、色んな人と知り合ったり交流を持ったりするわけなんですが、ラジオのような知的障害などを抱えている人と付き合うというのは、難しい面がありますよね。
正直、どんな接し方が良いのか判断ができないように感じます。
中途半端な接し方というのが、一番悪い気がします。
しかしながら、世界には、知的障害の人たちだけでなく、肉体的障害、心的障害や極度の貧困を抱えた人たちなど、様々な人たちもいますよね。
自分にできる範囲の協力をするといったもので十分なのでしょうか。
この映画「僕のラジオ」の中で、コーチ・ハロルドが、語ります。
「ラジオを助けることによって結局は自分たちが助けられているのだ。」と。
何とも、素晴らしい表現だと思います。
生きている限り、色んな人と巡り合う機会があると思うのですが、たがいの人生に真摯に向き合うことのできる人でありたいと思います。